「なにわ芸能研究」という授業では、4月からずっと漫才の歴史をビデオを見せながら教えてきた。もっともこれは生徒の食いつきをよくするために漫才を最初にやっていたということで、私としては本命は落語のおもしろさを高校生に知ってもらいたいというところにある。で、今週から落語。子ども向きにNHK教育テレビが制作した「えほん寄席」というビデオで桂文我師匠が絵本作家の挿絵のCGアニメーションに乗せて語った「運まわし」をまず見せる。落語入門としてはどうかという気もするんやけれど、まったく見たことのない生徒にいきなり落語家の高座を鑑賞させても食いつきが悪かったんで、去年からとりいれてみたもの。これで「落語が楽しみになってきました」なんて感想が返ってきた。
次に初代春團治のSP復刻の音源を聞かせる。「きれいな音で画面のついたのを見たかった」と人の説明を聞いてへん感想が返ってきてがっくり。今の高校生にはテレビもビデオも録音テープもなかった時代のことなんか想像でけんのかねえ。
六代目松鶴師匠はあえて「らくだ」などははずして、短めでしかもまだ口舌がしっかりしている時代の「酒の粕」を聞かせる。うまいことやろうとするたびに付け焼刃がはがれて失敗するという落語のパターンを知ってもらいたいということもある。
続いて人間国宝米朝師匠の落語はよく考え抜いて落語らしくないけれどお話として楽しめる「天狗裁き」を聞かせた。繰り返しの面白さを理解できる生徒の感想はええんやけれど、「長いし、繰り返しがしつこい」なんて書いてあるとがっかりする。
三代目春團治師匠の高座は毎年変えている。「お玉牛」を見せたり「いかけや」を見せたり「祝いのし」を見せたりしたけど、今年は怪談調の落語もあるということを知ってほしくて「皿屋敷」を見せてみた。ちゃんと理解しようという者は「幽霊が人間くさくて面白かった」などと書いているけれど、どうしても春團治師匠のぼそぼそと始める「いっぱいのお運びありがたく存じます」というあいさつで「退屈」と決めつける者がいるんやなあ。ちゃんと噺に入ったら盛り上がってくるよと言うてあるのに。最初の3分で集中力が切れてしまうのかなあ。テレビの細切れ漫才のせいかもしれん。
五代目文枝師匠は落語のしぐさなどを楽しめる上に初心者にも分かりやすい「時うどん」を。これは短めの落語なんで比較的好評。そやけど「食べ真似が嫌いやし、落語嫌い!」なんて書かれるとどうしてええかわからんようになる。中には「おいしそうにうどんを食べるので私も食べたくなりました」と書いてくれる生徒も複数いてるんで、悲観するにはおよばんのですけれどね。
今後は仁鶴「壺算」または「崇徳院」、枝雀「代書」、三枝「天満の白狗」、染丸「寝床」、ざこば「子は鎹」、吉朝「愛宕山」というラインナップを用意してるんやけれど四天王でもうついていかれんというような生徒にどこまで落語の魅力を伝えられるのか。毎年あれこれ考えながら演目を決めているんやけれど、難しいですなあ。
いっそのこと、松鶴の「らくだ」、米朝の「たちぎれ線香」、春團治の「野崎詣り」、文枝の「三枚起請」、なんていう「わからん者はついてこんでええ。これがほんまもんや」というような本格的な演目を並べてやろうかと思う今日此頃です。
落語の面白さがわからんと最初から決めつけているような感想を読むと、「もったいないなあ」と思う。それでもけっこうちゃんと面白さに気づく生徒もいてくれているのが救いか。まあ、枝雀師匠の落語でも笑わんようならあきらめな仕方ないんやけれどね。
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生徒さんたちの反応の「薄さ」に喜多さんがガッカリされるのは、わたしにも理解できます。
落語も演劇も、やっぱりライブで体感が大事かと思います。
うちの子どもが小~中学生の時に、雀三郎さんや文珍さんの落語会に行く機会があり、普段枝雀さんのDVDに反応しない子が、実演をみて「なんか面白い」といってました。
ライブで演者が発するエネルギーも、TVモニターを通すとかなり薄まるのかもしれません。
落語の面白さを分かって欲しいという情熱は理解できるのですが、若い子って大多数はそんなものだと思います。
私は今年36歳で、今でこそ、落語も歌舞伎も大好きですが、高校の頃はまったく興味がありませんでした。
それと、いちみさんのおっしゃるとおり、ライブの醍醐味を味わうとまた違いますよね。
10年後、20年後、30年後に興味を持つ人が必ず出てくるので、今は見せるだけで十分だと思いますよ。
若手漫才師のライブに行っている生徒なんかは、落語も熱心に聞いていてくれます。やはりテレビでしか「お笑い」を知らない者と舞台を生で見ている者との差は(落語だけやなく)歴然としていますね。