2009年07月07日

吉朝不在の大きさ

 今日、「なにわ芸能研究」の授業で今は亡き桂吉朝の「愛宕山」を見せる。
 反応は上々。「わかりやすくて面白かった」「演技力すごっ」などなどいいい反応が返ってきた。
 初心者から落語ファンまですべてにアピールできる力量はさすがの一語に尽きる。
 咽喉のところまで「いっぺん生で見てみ」という言葉が出かけた。
 つくづくその死が惜しまれる。
 次回は「松竹新喜劇」を見せる予定。これはさすがに私らの世代でも古臭さを感じてしまうのであるけれど、藤山寛美を見たことのない世代にそのすごさがわかるか。まあここらあたりになると「とにかく見せる」。これが目的になってるけれどね。
posted by 喜多哲士 at 23:59| Comment(2) | TrackBack(0) | 演芸 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
吉朝師の不在は埋めがたいかもしれませんが、残された七人の弟子がそれぞれみごとな後継者に育ちつつあります。今後十年、二十年の上方落語界の中心にはまちがいなく彼らがいる、と信じております(吉朝門下以外だと、笑福亭たま、桂まん我もその中心にいるはず)。

若手随一の人気者吉弥、吉朝生き写しの芝居噺を得意とするよね吉、端正極まりない(個人的にイチオシの)吉坊、スーパー前座のひとり吉の丞など、吉朝の遺伝子は、いまライブでいくらでも見ることができます。

吉朝師に感心した生徒さんなら、一門の良さは充分わかってもらえるのでは。
Posted by 古沢嘉通 at 2009年07月09日 22:37
古沢さんのおっしゃる通りやと思います。
吉朝師匠の落語をきちんと聞く機会を現時点で与えておけば、落語をきくようになったときに吉朝門下の落語家さんたちの中に残された「吉朝の遺伝子」を感じ取ってくれると信じて見せているのです。
Posted by t-kita at 2009年07月11日 00:34
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