それはともかく、今日、自分のSFファン活動の起点はなんやったのかと休憩時間にぼーっと考えていて思い出したことがある。
大学に入るのに浪人してたときやから、28年前になりますか。「SFマガジン」で京都に新しくファングループを作るから参加しませんかというような告知が掲載されていて、連絡をとって結成会みたいなのに参加した。浪人やったら勉強せえよな。
大学生が中心になっていて、呼びかけ人は「宇宙塵」を手にしていた。会の名前は「コスピタル」にすると宣言した。「コスモス」と「キャピタル」の合成語らしい。ファンジンも作るので原稿を次回には持ってきてほしいといわれた。原稿用紙で3枚ほどの短いものを書いて、次の例会に持っていった。ただし、集合場所は大きな書店の文庫の棚の前ということで、その次の回は模試かなんかで遅刻したら、もう誰もいてなんだ。次の例会の場所も時間もわからんまま、連絡も来ないうちに受験。合格して大学に入り、大学のサークル「SF創作同人イリュージョン」に入って、そこから私の本格的なファン活動が始まった。
しばらくして手書きのコピー誌が送られてきた。「コスピタル」の会誌やった。その時はもうすっかり「イリュージョン」の人になってたし、同人誌も当時「最も美しい手書きファンジン」と多くの人に認められるすごいファンジン「illusion」を出す手伝いをしていたから、「コスピタル」はかなり見劣りがした。
というわけで、私のSF活動の原点は「イリュージョン」やというのは間違いないんやけれど、その前にほんのわずかだけ入りかけていたグループがあったわけです。そこにいたことで、得るものもあった。「例会の場所は固定して遅刻しても大丈夫な場所にすべし」「メンバーが迷わないような目印が必要である」という教訓を得たわけです。それは「たちよみの会」に生かされてるのです。
あの時あそこに集まった人たちは今はどうしてるのかなあ。確か「平安会館」やったと思うけれど。会いたいわけではないけれど、あの人たちがその後どんなファン活動を続けはったか、なんて考えてしもうた昼休み、食後のひと時でありました。
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喜多さんは最初から、イリュージョンの人かと思っていました。
ところで、水野良と同じ大学でしたね。彼は高校のころから、星群の同人でしたけど、喜多さんとは大学では接触がありましたか。歳は確か同じだったのでは。
私のファン活動の原点はやっぱり、「チャチャヤング」ですね。あの番組が終って、常連で創立した「北西航路 創作研究会」が私の初めてのグループです。創作研究会は私も創立者の一人ですから、初心者で、既設の会に新入会という経験はないんです。星群に入会した時も、創研と星群は眉村さん宅で、合同で勉強会してたりしてましたから、星群に入会した時も、見ず知らずのグループに入る、という感じではなかったです。
人それぞれ過去があるのです。