2011年07月19日

魁皇引退

 暴風警報は夜になってから発令された。というわけで、朝の授業では用意していた「なでしこジャパン」の教材が無駄になることもなく、生徒もニュース映像を楽しんで見ていた。夏休み前最後でやっと明るい話題を扱えてほんまによかった。やれやれ。
 台風の影響で広島での試合は早々と中止が決定。そら午前中から警報でまくってましたもんね、広島方面。昨日の試合終了の時点で中止は予想されていたことですよ。というわけで、帰宅したらすぐ録画しておいた相撲を見る。
 魁皇はなすすべもなく負け。こら休場かいなあと思うていたら、気象情報を見るためにつけた夜のニュースで「魁皇引退」の一報が。
 そうかあ、ついに魁皇も現役を退くことになったか。千代大海とカド番の記録を争うていたころは、もうそろそろ引き時やないかと何度も思うたけれどね。ここ2年ほどはもう成績もなにも超越した「角界の至宝」みたいな存在になっていた。そう、魁皇が土俵に上がるという、ただそれだけでファンは満足するというようなそんな存在です。
 千代の富士の持っていた通算勝利数の更新は執念で成し遂げたけれど、おそらく達成したことでもう自分のすべきことは終わったと感じたのかもしれんなあ。
 怪力無双。右上手を取ると全盛期の貴乃花でさえ苦しんだ。まさに「自分の型」を持つ者の強みというものを感じさせる力士やった。
 相手が深く差して中にもぐろうとすると、上手が取れなくても強引な小手投げで上からつぶすように勝っていった。あまりに力が強いもんやからその小手投げを決められた力士が腕を傷めることもしばしば。まさに怪力やった。
 晩年は特に関心にサポーターが目立った。満身創痍でも、日本人力士唯一の大関として土俵に上がり続けた。地元福岡では対戦相手は館内のファンのすべてを敵にまわしているかのような大声援やった。あの朝青龍でさえ脇役に追いやるほどの人気やった。記録も数多く残したけれど、それ以上に記憶に残る名力士やった。
 それだけに、「名誉横綱(もともと横綱は強い大関に与えられる称号やったんやから、こんな言い方は変やとは思うけど)」かなんかにして一場所だけでも横綱土俵入りをさせてあげたかったなあ。
 とにかく、長い間楽しませてくれてありがとうございました。ほんまにお疲れ様。長く現役を続けるほどに人気があがるという、こういうタイプの人気力士はそうそう現れんやろうなあ。
posted by 喜多哲士 at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 大相撲 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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