午前中は先週録画してためていた「カーネーション」「鈴子の恋」などの連ドラ数日分や深夜アニメ「男子高校生の日常」やらあれこれと見る。午後からは爆睡。とにかく寝る。
明日もこんな調子かのう。
以下、どうでもええことですが。
大阪市長も東京都知事もしきりに「維新の会」や「新党」の政策の骨子について「船中八策」という言葉を使うたはるけれど、元祖「船中八策」の坂本さんは志半ばで暗殺されたということを踏まえてのことなんやろうなあ。殺されてもかまわんという気概で「船中八策」という言葉を使用したはるんやったらその意気やよしと言いたいところですが、単に龍馬気取りでええかっこしいで「船中八策」を乱発してるんやったら、やめとかはった方がええと思うがなあ。
何しろ坂本さんという方は、「船中八策」を書いたはええけれど、新政府ができた暁には中枢には入らず、商社を起こして貿易に専念するつもりでいたらしいしねえ。ご自分を坂本さんになぞらえるということは、「船中八策」を書いても、それを実行する時は自分は責任はとらずに逃げて金儲けをしますよ、という意味にもとれまっせ。
市長は基本的には小説は読まんらしいし(府知事就任直後の産経新聞の取材でそない言うたはります)、文化的なことについては無関心な方なんでそういう言葉づかいをしても「ああ、知らはらへんのやな、やっぱり」と鼻で嗤うてあげたらすむんやけれど、都知事は一応もと文学者ですからね。確信犯的に「船中八策」と言うてはるのかもしれんな。それやったらやらしいことでおますなあ。
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龍馬という人自身、日露戦争時に皇后陛下の夢枕に立ったと新聞に載るまでまったく知られていなかった人物なんですよね。その上、政治家としての仕事をほとんどせず死んでしまった。その人に自分をなぞらえる政治家が多いことに、なにか気色悪さを感じます。
司馬さんは高杉晋作も江藤新平も主人公にしていますが、木戸孝允は主役にしていませんね。
西郷と大久保も主役にしてますが、大久保利通の書きようはあまりよくありません。
幕末の人物像のイメージというのは多くは司馬遼太郎フィルターをとおしたものが多いように思います。
つまり、司馬遼太郎作品だけ読んで幕末史がわかった気になってる人たちやそこから派生したイメージしか受け取ってない政治家がいかにおおいかということやないかと思います。