2012年02月29日

愛国者と起立

 今朝も微熱。休みを取りたいところやけれど、大切な約束が入っているので今日だけは出勤せねば。
 というわけで、午前中で主要な案件をすませ、午後からはマイペースで仕事。それでも体調は万全やないのでペースは確実に落ちている。明日は一日休みを取ることにする。帰宅後、体温を測ったら平熱に近くなっていて、これはたぶん抗生物質が効き始めているからやろう。とにかく来週の卒業式に向けて、休める時はとにかく休む。
 卒業式というたら国歌の時に起立せんと処分されるとかいうあれですね。大阪市でも条例案が提出されたとかで騒いでるけれど、正直なところ私は愛国者やないから「立っとれ」と言われたら立ってるし、「座っとれ」と言われたら座る。つまり国歌や国旗に対するこだわりがないのです。「君が代」が「海ゆかば」であっても、「上を向いて歩こう」であっても、別段かまわん。さすがにジャイアンツの歌である「闘魂こめて」やったら座るかもしれんな。我らがタイガースの「六甲颪」やったら三番まで絶唱しますが。あ、市長はジャイアンツファンやった。
 つまり、行動から内心をはかることは不可能なのですよ。市長も知事も愛国心を試すなら、国歌のあとで「天皇陛下万歳」の三唱を強制するとか、校長に教育勅語を読ませるとか、各学校に奉安殿を作って天皇皇后両陛下の御真影をお供え奉り毎朝最敬礼させるとか、「建国記念の日」と「天皇誕生日」は府下全域の学校を登校日にして神武天皇の遺徳を顕彰したり今上陛下のお誕生日を寿いだりするとか、そこまで徹底してやんなはれ。
 こんなん書いてほんまになったらどうしよう。
 つまり私が言いたいのは、「君が代」で着席する人の方がよっぽど国や国家にこだわりがある愛国心の持ち主やないかということであります。どうでもええと思う者はそこまでやらんで、ほんま。
posted by 喜多哲士 at 23:59| Comment(4) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
私の母親はキリスト教(日本聖公会)なんですが、「踏絵は踏むよ」とあっさり言ってました。
Posted by 垂直応力 at 2012年03月01日 00:17
踏めるんですね。内なる信仰があればできるのでしょう。
逆に、形にばかりこだわる人の場合、内に秘めたものはそう固くはないのかもしれませんね。
Posted by t-kita at 2012年03月01日 23:55
捕捉しときますと、コーランを焼かれたことに抗議デモをしてるイスラム教徒のニュースを見てた時に出てきた話です。
「コーランも聖書も単なる印刷物。あそこまでこだわるのはおかしい」
Posted by 垂直応力 at 2012年03月02日 00:24
どこにこだわるか、というところなのですね。
市長の場合、とにかく権力者の命令に従わせるところにこだわりがあるように思いますね。
Posted by t-kita at 2012年03月02日 23:51
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