午前中はテレビを見て過ごす。もうせんBS朝日で放送された「君は『桂枝雀』を知っているか」を今日は地上波の朝日放送でやっていたので、見る。「枝雀寄席」というコンテンツを持っている朝日放送ならではの豊富な映像資料のおかげで、多面的に桂枝雀という「爆笑王」について振り返る機会がもてたのはありがたいこと。
とはいえ、「枝雀落語」とは何やったか、ということをどんと突きつけられ、これは何やったんやと考えさせられた。私は年齢的には「小米」の時代を録音などでしか知らん世代なので、いきなり「枝雀」は「枝雀」として現れ、どかんどかんと笑わせられた。
それがいわゆる「落語」やったんかどうなんか、と、今日見た放送で考えさせられた。ほんまもんの「上方落語」は、六代目松鶴のやっていたようなもの。これを全国どこの人にもわかるようにしたのが米朝。で、枝雀は「落語」をモチーフになにか別なものをこしらえたんやないか。そんなことを考えさせられた。
では枝雀がこしらえた別なものはなにかというと、これをうまく言葉にすることがでけんのですね。それはやっぱり「落語」やったから。なんとか言葉にしてみれば「根源的な笑い」みたいなものかなあ。
改めて突き付けられた「枝雀の謎」。でも、それが「根源的な笑い」であるならば、いらんことは考えずその世界に身をゆだねていればいいだけのことかもしれんなあ。
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やはりこれ「笑い」の塊です。
枝雀師匠が分析し尽くして作りだした「笑い」も、私は何度見返しても分析できません。
やはり難しいことは考えず、ただ笑いのオーラに身をまかせていればいいのかもしれませんね。