2015年10月21日

平賀源内の死因

 授業のために調べ物をしていると、自分がまだまだものを知らんと痛感させてくれる。
 日本史の授業で「蘭学」について教えるために、平賀源内について調べていたら、彼はエレキテルと土用の丑の日のコピーの人というだけやなく、物産博覧会を何度も開いていたり、各地で鉱山開発の指導をしたりしている人でもあったのですね。
 さらに驚いたのは、殺人で捕まって獄死しているのね。うわー、昔のドラマ「天下堂々」なんかやとどっか遠くに旅立っていったというような場面があったと記憶しているんやけれど、獄死とはなあ。
 もしかしたら知らなんだのは私だけで、ほかの人はみんな知っていることかもしれん。で、妻に話したら妻も知らなんだのでほっとした。そういう問題やないか。
 50の手習い、まだまだ続くなあ。
posted by 喜多哲士 at 23:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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