2026年01月29日

祝祭の子

 今日は出勤日。倦怠感は少しましになって、なんとか出勤。休みたいとか帰りたいとか思わずに出勤できたんやから、まあよかった。
 授業は2コマ。その他当番やら会議やらで慌ただしく1日が過ぎていった。まあ、空き時間に教材作成もできたし、体調は割とましになったということかな。
 帰宅途上で自宅に連絡したら、夕食をスーパーで買うて来てほしいと妻からのメッセージがあり、弁当を買うてから帰宅。帰宅後、さすがに疲れが出て、しばらく寝床でどぶさり、読書など。夕食後も読書の続き。少し仮眠。思うていたよりも普通に仕事ができた、かな。
 逸木裕「祝祭の子」(双葉文庫)読了。14年前、ある宗教団体のコミュニティで極秘に育てられた子供たちが、育ての親の指示に従い、信者たちを虐殺する事件が起こる。5人の子どもたちは「生存者」と呼ばれ、社会復帰しようとしても常に殺人者として社会からはつまはじきにされながら生きてきた。ネット上に現在の所在地を暴露する投稿が行われ、さらに彼らの育ての親が潜伏先で遺体となって発見されたことがきっかけとなり、「刺客」が彼らをつけ狙う。それまで互いに連絡も取らずにばらばらに生きてきたが、自分たちを守るために何かに吸い寄せられるように集まり、「刺客」に対峙しなければならないようになる。果たして彼らをつけ狙う「刺客」の正体は何者か。彼らは自分たちの身を守る事ができるのか……という話。異常な成育歴と、常に社会の中で差別されながら生きてきた「祝祭の子」たちという設定が、現代社会における人間関係のもろさや危うさ、人間のもつ醜さをあらわにしていく筆致には迫力がある。とはいえ、いかに異常な殺人者という烙印を押されてしまったとはいえ、彼らに対する社会の不寛容さはあまりにも誇張されたものではないかという違和感は最後までつきまとった。ただ、現実にはオウム真理教の教祖の子どもたちの例もあり、やはり一度何らかの烙印を押されたものには、それが異常であればあるほど生涯つきまとっていくということはあるだろう。そのあたりの描き方がギリギリの線である程度のリアリティを保っていることは確か。多少誇張されてはいるけれど、人間の暗い面を強調する道具立てとしては成功しているのかもしれん。いったい善悪を決めるものは何なのか、その問いかけが作品全体を貫いていることは確か。しかもそれが全共闘の70年安保にまでつながるという筋立ても作者の若さを考えるとよくここまでかけたものだと思わざるを得ん。ぐいぐいと読み手を引っ張る力のある作品である。
posted by 喜多哲士 at 23:59| Comment(0) | 読書全般 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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