2026年05月14日

大野雄二の死

 今日は出勤日。空き時間は試験問題作成にあてる。6時間目、午後2時ごろ、避難訓練。外はカンカン照り。夏日であります。避難の合図でグラウンドに出て行って、そのあと校長の講評などはええとして、水消火器を使うた消火の練習とかで炎天下のもと、生徒たちも教師も汗をだらだら流しながら「早く日陰に入りたい」と思いつつすべてが終わるまで待つ。よう暴動が起きなんだもんです。もっとも、気持ち悪くなって保健室に行った生徒もいましたけれどね。というわけで、避難訓練だけでばてばてになってしもうた。
 放課後の職員会議も結構長く、へろへろになって退出。
 帰宅後、大相撲夏場所5日目の録画を見る。若隆景が敗れ、勝ちっ放しは霧島と琴栄峰だけになった。果たして霧島がこのまま独走するのか。まだ序盤戦が終わったばかり。まだまだ波乱はあるとみている。
 タイガースの試合はもともと日程になかったので、相撲を見た後は場所前に録画した「大相撲どすこい研」などを妻といっしょに見たりし、その後しばらく読書。お片付けなどせんならん用事もあるけれど、それは明朝にまわすか。
 作曲家でジャズピアニストの大野雄二さんの訃報に接する。享年84。死因は老衰。
 もちろん「ルパン三世」のテーマや劇伴が代表作やというのは異論はございません。個人的にはルパン三世の主題歌は第1シリーズの山下毅雄さんの方が好きなんですけれどね。それよりも前に、映画「犬神家の一族」のテーマ曲があったよね。私はそちらの方が印象に残ってる。テレビアニメやと「キャプテンフューチャー」かな。オープニングの「夢の旅人」もエンディングの「ポプラ通り」も名曲です。いやしかし全体にスタイリッシュで、しかもどこかにウェットな部分も残してある、あの大野サウンドは、聴いていてじんときますねえ。今後の「ルパン三世」の新作の劇伴は大野さんの残した録音の使いまわしになるのかな。今のアニメでは林ゆうきさんなどやはりかっこいい曲を作る人たちがいてるけれど、大野サウンドは別格なんですよねえ。その音を聴くだけで「大野雄二!」とわかるもんなあ。「カリオストロの城」も大野サウンド抜きでは語れませんしねえ。
 謹んで哀悼の意を表します。

 5月17日(日)は「たちよみの会」例会です。今月も13:00~15:00の短縮バージョンです。ご参加お待ちしています。
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2026年05月01日

伯母の葬儀

 今日は定休日。伯母の告別式。午前9時30分くらいまでアニメを見て、それから出かける支度。告別式の後の初七日法要の際に供える「ご仏前」の金封の準備やら喪服に着替えたりやら。午前10時ごろ出立。
 京都の葬儀会場には12時ごろ入り、従兄たちと話をしたりする。午後1時より告別式。出棺の後、一度斎場までマイクロバスまで行き、棺を見送ってから、折り返して葬儀会館に戻る。お骨を拾うたりするのに制限人数ができているとは知らなんだ。コロナ前に亡くなった父の時はそんな制限はなかったんやけれどね。
 やはり私たちの生活は「コロナ前」と「コロナ後」で明らかな変化があったということか。
 お骨が帰ってくるまで、留守番組でおしゃべり。やっと帰ってきて、初七日法要。その後は仕上げ膳。葬儀会館の用意してくれたコース料理なんやけれど、思うていたよりおいしかった。大いに飲み、食い、かつしゃべる。
 思うていたよりも散会が遅く、ようてふわふわした感じのまま帰阪。
 帰宅後、追っかけ再生でプロ野球「タイガース-ジャイアンツ」戦を見る。完全中継をしてくれるNHKBSを録画。解説はもとドラゴンズの和田さん。村上投手の不調で敗れる。やっと酔いがさめてきた。少し休憩してからこの日記を書いています。
 それにしても親族と顔を会わすのは葬儀や法事の時ばかり。逆に言えば、そういう祭事があることで普段顔を会わせん親族と会えるということやから、故人に感謝せなあかんなあ。
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2026年03月15日

若嶋津六夫の死

 今日は「たちよみの会」例会。昼前に出かけるまで、昨日録画したアニメや朝に録画した「仮面ライダーゼッツ」「ギャバン」などを見る。
 阪急の特急で上洛。昼食をとってから「フランソア喫茶室」へ。今日も古参会員Y氏は午後3時ごろに来たので、それまでは一人で待つ。「フランソア」を出て、Y氏と合流。「丸善京都店」へ行き、立ち読みがてら文庫や新書などを買う。四条河原町の「ドトールコーヒー」に場所を移し、しばらく歓談。午後5時半ごろ散会。
 阪急の特急で帰阪。録画した大相撲春場所中日を見る。豊昇龍は大栄翔に土俵際で逆転負け。安青錦は隆の勝に一方的に敗れ、琴櫻は平戸海の一気の寄りに屈し、横綱大関陣は全滅。霧島と高安は熱戦の末に霧島が粘り勝ち。霧島、隆の勝、琴勝峰、豪ノ山が1敗で並ぶ。ますます混戦模様になってきた。
 夕食後、寝床でしばらく読書など。気がつけば寝落ち。続けて外出してるから疲れるのは当然なんやけどね。明日からまた出勤。ぼちぼちいこか。
 大相撲のもと大関、若嶋津六夫さんの訃報に接する。享年69。死因は肺炎。「南海の黒ヒョウ」の二つ名を持っていた。体格は兄弟子の大関貴ノ花によく似ていて、しなやかなばねのある体から上手投げ。吊り寄りを得意としていたのも兄弟子によく似ていた。序ノ口優勝をした時に、まだ日高という本名やったけれど、ひょろっとしているけれどええ若い力士が出てきたなあと中学生の私は思うたのを覚えている。一番横綱に近づいたのは蔵前国技館最後の場所。ここで優勝したら横綱というところで、新入幕の小錦旋風が吹き荒れ、優勝をかけた相撲で平幕の多賀竜に敗れ、チャンスを逸したのが印象的。優勝はその多賀竜にさらわれ、その後はチャンスはめぐってこなんだ。
 私は女将の高田みづえさんの大ファンやったけれど、若嶋津関との婚約が発表された時はちっとも悔しくならなんだ。天下の大関にかなうわけないもんね。お似合いの夫婦やと思うたし、女将はそのまま歌手を引退し、創設された松ヶ根部屋の女将として若手力士の育成に尽力。松鳳山らを育成し、二所ノ関の名跡を継いだ。名門の総帥となったわけですね。最後に育てた関取は嶋津海。今場所は再十両。ただ、定年退職後はもと玉乃島の放駒親方に部屋を譲り、二所ノ関の名跡ももと稀勢の里に譲った。しばらくは荒磯親方として再雇用で協会に残っていたけれど、途中で退職して角界から身を引いていた。
 大関貴ノ花のファンやった私はその衣鉢を継いだ若嶋津も贔屓にしていて、ぜひ横綱を張ってほしかったけれど、それもならなんだのは残念やった。ただ、引退後、解説席での柔らかい口調でていねいに語る様子は誠実さを感じさせ、弟子たちにもそうやって接していたのかなあなどと思うていた。今は力士の大型化が進み、若嶋津のようなソップ型の大関は望むべくもなくなったけれど、細身ながら鮮やかな上手投げを得意とする力士、また出てくれんかなあと思う。嶋津海は今場所は奮起してもらいたいなあ。ただ、前の師匠がなくなる前に関取復帰を果たせてよかったよね。
 謹んで哀悼の意を表します。
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2026年01月13日

やはり亡くなっていた人

 今日は出勤日。ちゃんと朝起きられ、倦怠感はあったけれどいつものように出勤できた。授業は2コマ。年明け初めての授業やったけれど、さすがに教壇に立つと元気になる。ただ、空き時間、次回以降の教材研究はなかなか集中しきれず。昼休みは校門前で立ち番。風が強く震えながら20分ほど校門前に。実はこれが一番こたえた。
 帰宅後、しばらく読書をしてから、録画した大相撲初場所3日目を見る。琴櫻と若元春は土俵際でもつれ、物言いがついて長い協議の末に琴櫻の勝ち。大の里と宇良の相撲も宇良の粘り腰でもつれて物言いがつき、長い協議の末に取り直しとなり大の里が圧勝。結びの一番は豊昇龍と義ノ富士。午後6時5分まで予約していたんやけれど、仕切りの途中で録画が終わっていたので、スマホの大相撲のアプリでの配信を見る。義ノ富士の速攻に豊昇龍が敗れてついに横綱大関陣の今場所初黒星。いやあ、今日の相撲は物言いのつく相撲が多かった。
 年賀状に交じって、一通の封書が届く。嫌な予感がした。昨年の年賀状で、クラシック音楽ファンの仲間が癌にかかっていることなどを書いていて、今年の賀状を出すかどうか非常に迷った。かなり癌が進行しているとのことやったから、もしかしたら亡くなっているんやないか、と。ただ、旧年中にはそのような連絡はなかったから、万が一という希望をこめて、出した。封書は、その人のお兄さんからのもので、昨年2月にはもう亡くなってはったということを非常に丁寧な文章で書いてくれてはった。声に出して読んでいたら、途中で涙が出、胸の奥から悲しみやらいろいろな思いがこみ上げて、声をあげて泣いた。万が一はなかった。ご本人の意向で、特に治療はせず、自宅で亡くならはったという。去年の年賀状は、彼から私への最後のメッセージやった。かつて京都にあったクラシックファンの集まるスナック「ショパン」の常連で、丹波篠山から京都に出張する際には必ず店に寄ってはった。大学の先輩であることも話の中で明らかになった。マスターにいじられてもうまく受け流し、にこにこと楽しく飲む、ええお酒の飲み方をする人やった。「ショパン」が閉店した後も、年賀状でつながっていて、1年に一度、近況を伝え合うのは楽しみやった。アニメも好きで、そんなことも年賀状には書いたりしていた。長い間顔を会わすことはなかったけれど、彼からの便りは毎年楽しみにしていた。私とは少しだけ年上。よき先輩でもあった。温厚で、人を不快にさせるようなことのない方やった。
 こんなに泣いたのはいつ以来やろう。お兄さんには心を込めたお返事を出そう。スナックでマスターがつけたあだ名が「セコビッチ」さん。ボトルを入れなかったので、そんな風にいじられていたのだ。「セコちゃん」と呼ばれてもニコニコしながら返事をしてはった。
 私はまだなんとか元気でいてる。きっとまだこの世で何かすべきことがあるということで生かされているんやろう。病に侵されてもそれをそのまま受け入れ、辛かったやろうけれど自分の生を全うした「セコちゃん」。もうすぐ一周忌になることもわかった。おそくはなったけれど、ここで謹んで哀悼の意を表したい。
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2025年12月26日

内館牧子の死

 今日は定休日。勤務校は今日が仕事納め。一気に気温が下がり、一日寒い。勤務日やなくてよかった。
 朝から未視聴のアニメを見る。年末が押し詰まっているというのに、こんなんしててええんかという気もするけれど、年賀状などのもろもろは明日から手をつけることにする。
 昼食後、午睡。かなり疲れがたまっていたので、夕刻まで午睡、爆睡。目覚めてからはスマホをいじったり読書をしたり。読了本もあるけれど、感想は明日にまわします。
 夕食時、サンテレビ「熱血!タイガース党」を見る。年末スペシャルということで2時間の拡大版。ゲストは坂本捕手と才木投手のバッテリー。元タイガースの北條史也さんがサンタに扮してケーキに乗せる果物を神戸の元町に買いに行くという謎の企画もあったりする。
 夕食後、布団にくるまり読書の続き。案の定寝落ち。明日から年末に向けて少しは動く予定。
 脚本家で好角家の内館牧子さんの訃報に接する。享年77。死因は急性左心不全。もともと心臓に持病があり、一度は死を覚悟したはったということやけれど、まだまだ健筆をふるうてほしかっただけに、残念。私が内館さんの名前を意識したのは、大学を卒業してすぐ、中高生向けのティーンズノベルを書くようにお誘いを受けた時。どう書けばええんかわからんので、お手本に何冊かティーンズノベルの文庫を買い、参考のために読んだ時。角川スニーカー文庫で「カワイイ子になれない」というタイトルの小説を出してはって、これが非常に面白く、こういう感じのものを目指せばええんかなと思うた。実際は、依頼してきた編集部のターゲットとはちょっと違うたので、参考にはならなんだわけやけれど、このレベルのものを書くのは大変やぞと感じたのは覚えている。内館さんが脚本を手掛けたドラマは「毛利元就」くらいしか見てへんけれど、戦国時代のドラマでも一味違うと感じさせた。私にとってはそれよりも好角家としての内館さんという印象の方が強い。なにしろ横綱審議委員に女性で初めて就任し、当時の横綱朝青龍のふるまいに対して鋭い注文を付けた方として知られた。その当時、「週刊朝日」に毎週エッセイを連載してはり、相撲に関するところを抜粋して一冊にまとめたものが刊行されたくらい。非常に納得のいく論調やった。その後も相撲に関するエッセイ集や対談本を何冊か出してはり、愛読したもんやった。東北大の相撲部の監督までしはったんやから、単なる好角家として片づけられる人やなかったんやけれど、それでも私はあえて好角家と呼ばせてもらいたい。格闘技全般、特に相撲のほかにはプロレスにも一過言持ってはった。当時の女性文化人としては非常に珍しい、パイオニア的存在やったと思う。最近では好角家の女優さんやアイドルも増えていてそれぞれSNSで発信してはるけれど、内館さんほど相撲を愛した人はいてへんのやないやろうか。正直、横審の委員の男性の多くは名誉職みたいな人が多く、内館さんはその中でも異彩を放っていた。もう内館さんの相撲エッセイを新たに読まれへんのは残念極まりない。私の相撲を見るときの指針となる視点を学ばせてもろうていたというても言い過ぎやなかろう。
 謹んで哀悼の意を表します。
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2025年12月11日

高代延博の死

 今日は出勤日。授業は2コマ。いずれもテスト返却の時間。採点ミスはほとんどなく、空き時間には成績算出の数値を入れ、なんとか持っている科目の成績はすべて出す事ができた。あとは月曜の午前中には成績資料を提出できるようにして、火曜には完全に結果を教務に提出できるというところまで計算が立った。やれやれ。ただ、資料作成に手間取り、頭もあまり働かず、今日中にすますことがでけなんだ。まあ、まだ余裕はある。
 ほっとしたのか、疲れが出たけれど、帰路の電車は混んでいて座れず。
 帰宅後、しばらくスマホをいじったりして過ごし、夕食後は寝床でどぶさっていたらやっぱりうとうと。明日はぐっと冷えこむようなので、しっかりと休んで疲れを取らんとあかんな。
 元プロ野球選手で名コーチとして知られた高代延博さんの訃報 に接する。享年71。死因は食道胃接合部癌。
 現役時代はファイターズの名ショートとして活躍。カープに移籍して引退後、様々なチームのコーチとして招かれ、野村克也さんをして「日本一の名三塁コーチ」と言わしめた。タイガースファンの私としては、和田監督以降、金本監督、矢野監督のもとで三塁ベースコーチをして走者に的確な指示を出す姿が思い浮かぶ。小さな体で目いっぱい腕を回して走者をホームインさせるそのアクションは、テレビ中継でもわざわざその様子をフレームに必ずおさめさせるほど。岡田監督のもとでは藤本コーチが、藤川監督のもとでは田中秀太コーチが三塁で腕を回していたけれど、高代コーチみたいにわざわざその姿を画面におさめるというほどのことはなかった。サンテレビ「熱血!タイガース党」ではキャンプ中にインタビューに答えたり、レギュラーの武田邦佳さんにブロックサインを教えるという企画に協力したりという姿が印象的。ブロックサインというのはただのファンから見たら非常にわかりにくいものなんやけれど、非常にわかりやすく教えてくれたはった。素人に高度なことをわかりやすく伝えられる指導者というのは得難い存在で、言うたらなんやけど、岡田はんの解説はかなり核心をついたことを言うていてもその根拠の説明が出けてへんからイラッと来るんですよね。高代さんはそのほとんどをコーチとして過ごしていたからテレビ解説の席に座っていた姿というのは私の記憶にはないんやけれど、きっとテレビやラジオの解説席でも視聴者が得心のいく解説をしてくれはったやろうなあと思う。
 タイガースを退団した後は大阪経済大学の臨時コーチを経て、念願の監督に就任しはったけれど、その時にはもう食道癌が見つかっていたという。最後まで現場の指導者にこだわっていたんやね。
 とにかくあの三塁ベースの横でぐるぐると腕を回す姿がもう見られんというのは寂しい限り。その判断の確かさに唸らされたことは数限りなくある。
 謹んで哀悼の意を表します。
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2025年11月11日

西澤保彦の死

 今日も出勤日。ここのところ月曜日が休みが多かったんで、連勤は久しぶり。今日は好天。朝夕と日中の寒暖差が大きく、やはりしんどい。6時間目の生徒たちも集中力が落ちていて、授業を進めるのがなかなか大変。あの手この手でなんとか。こちらもしんどいんですよ、生徒さんたち。
 帰宅後、寝床にどぶさっていたら寝てしまう。心身ともにへろへろ。夕食で妻に起こされる。食事をとりながら録画した大相撲九州場所3日目を見る。国会中継のため、地上波は午後5時から。昨日のうちに予約を修正しておいたので、全部見られました。両横綱はそろって勝つ。琴櫻は膝が全く動かず連敗。安青錦は苦しい体勢から捨て身の首投げで勝って3連勝。さすがに相手も研究してくるなあ。明日も国会中継があるので、録画予約の入れ直しをする。
 相撲を見た後、寝床でスマホをいじっていたら寝落ち。朝夕が寒いので妻が冬用の布団に入れ替えてくれたので、心地よすぎるのかな。明日もたっぷり午睡しそう。
 ミステリ作家西澤保彦さんの訃報 に接する。享年64。死因は肺癌。
 また同年代の作家で、面識のある方の訃報。SFの設定を使い、超能力などを使うた事件を本格ミステリとして描くという離れ業をやってのけた方。これはもう西澤さんの独擅場でしたね。水玉蛍之丞さんのイラストがまたよかったんやなあ。水玉さんも早くに亡くなってしまわはったんで、コンビとしてはそれほど数は残ってへんけれど、好きやったなあ。SFのイベントでは「私は本格ミステリ作家なんで」と言うては同世代のSF作家の方たちから「観念してSF(こっち)の作家と認めろよ」なんて半ば冗談、半ば本気で迫られ、にこにこしてはったのを覚えている。書評家としては、やはりミステリ作家やったと思うているけれど、扱う題材がSF世界で、その設定も決して借り物やなく本格的なもんやったからなあ。確かにきっちりと分けてレッテルを貼るなんてことは難しい作家やった。それだけの魅力ある作品を書き続け、ジャンル分けの意味を高い次元でぶち壊した方、という印象が強い。作家としてはまだまだこれからという年齢だけに、またも惜しい人材を亡くしてしもうた。同世代だけに、これはきつい。まさに「西澤保彦もの」というひとり1ジャンルを作り上げたというてええんやないか。貴重な、唯一無二の存在やった。
 謹んで哀悼の意を表します。

 11月16日(日)は「たちよみの会」例会です。今月も13:00~15:00の短縮バージョンです。ご参加お待ちしています。
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2025年10月03日

新野新の死

 愛すれどタイガース「村上三冠、佐藤輝40発100打点」を更新しました。

 今日は定休日。深夜アニメも少しずつ新番組が始まり、第1話からなんとなくこの話は最後まで見なくてもいいなと思えるものもあったり、ラブコメで期待できるものもあったりと、様々。昼食後、午睡。夕刻目覚め、スマホをいじったり読書をしたり。夕食後も読書の続き。日が落ちると一気に気温が下がり、寒暖差が激しく、夜は雨。やはり体調がよろしくない。もう少し本は読み進められるかと思うたんやけれどね。
 放送作家の新野新さんの訃報に接する。享年90。死因は老衰。
 私の40代の終わりから50代の前半にかけて、「日本芸能再発見の会」が仲事務局長の尽力で毎月のように開かれていたころ、必ず参加し、会の公式ホームページがない代わりに、私が自分のページでレポートを書き続けたりしたこともあって、会の締めの飲み会には毎回誘っていただいた。焼酎のお湯割りを好んで飲んだはった。「再発見の会」のゲスト講師の方たちとの話では、公式のレポートには書かれへん裏話が飛び交い、ほんまに幸せな時間を過ごした。出版記念パーティーにもお誘いいただき、いとしこいし師匠を間近に見ることもできた。多くの芸人さん、しかも大御所が集まって盛大に祝う姿を見て、それだけのことをしてきはったんやなあと改めて感じ入った。
 私はいわゆる「ぬかる民」(ラジオ大阪「ぬかるみの世界」のリスナー)やなかった(ラジオ大阪は京都では入りにくかったのです)けれど新野さんご本人から「喜多くん、君は“おじんの皮かむりおばん”やと認定していただいた。同世代の「ぬかる民」諸氏には申し訳ないけれど、、新野さんご本人のお墨付きですぞ。
 会が開かれなくなり、お会いする機会もなくなったけれど、この頃が、私にとって最も充実していた時期やったなあ。黒く染めた髪の生え際の白いのを見せて、「僕なんか真っ白なんや」とおどけてはったり、あの頃のことを書きだすと止まらん。芸能関係に関しては、私の師匠やったと、今でも思うている。
 謹んで、心より哀悼の意を表します。
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2025年06月18日

増位山太志郎の死

 今日は定休日。今日も気温は30℃越え。朝から録画した深夜アニメをいくつか見て、昼前に寝床で読書。妻はスーパーで備蓄米が買えるというので、朝から買い物に。あまり情報がいきわたっていなかったようで、すぐに手に入ったとのこと。妻が買い物から帰った後、少し寝る。昼過ぎに起きて簡単な昼食をとる。妻は午後、気温が下がるあたりの時間帯を狙うて日帰り帰省。その間、ずっと読書。
 妻が夕刻帰宅した後、追っかけ再生でプロ野球「タイガース-マリーンズ」戦を見る。今日の中継はNHKBSと地上波はABC。完全中継のBSを録画して見る。解説は今中さん。相手の走塁ミスやバッテリーミスが続き、そのおかげで先行してからリードを保ち、8回に大量得点。やっと連敗脱出。やれやれです。
 夕食後、読書。感想は明日にアップします。とにかく暑くてだるく、風の通る部屋で寝転んでいたら気持ちよくて寝てしまう。明日は出勤。仕事になるかしらん。
 大相撲もと大関で歌手の、増位山太志郎さんの訃報に接する。享年76。死因は肝不全。
 曲者力士やった。印象に残るのは引きずるような投げ技。普通の投げ技でもなく、出し投げでもない、独特の技やった。上手も下手も関係なく決まると相手はまさに引きずられるように土俵に這う。そして内掛け。やはり右左関係なく、まさに鎌で相手の足首を刈るように足を飛ばす。相手はすとんと腰から落ちる。戦後では琴ヶ濱という内掛け名人がいたけれど、私がリアルタイムで見た力士では増位山関が一番。
 大関が番付からいなくなるというタイミングもあったおかげで、ワンチャンスで大関の座を手にした。師匠で実父のもと大関増位山大志郎の三保ヶ関親方の喜ぶ姿を報じた新聞やテレビのニュースを今でも覚えている。弟子には肥後ノ海や濱ノ嶋がいてるけれど、当時の日大相撲部田中監督との約束で分家独立させるということになっていたので、大阪相撲の名門である三保ヶ関部屋がなくなってしもうた。預かり弟子やった大関把瑠都が協会に残っていたらもしかしたら孫弟子ということで継承していたかもしれんけれど、今さらそれは言うまい。
 現役時代から美声で鳴らし、ヒット曲「そんな夕子にほれました」などがあったけれど、協会の方針で協会構成員の歌手兼業が禁止され、定年退職と同時に増位山の名で歌手に復帰。それからは相撲界とは距離を置いていたみたい。
 私にとっては引きずり投げと内掛けだけでも語り継ぎたい曲者力士やった。
 謹んで哀悼の意を表します。
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2025年06月03日

長嶋茂雄の死

 今日も出勤日。朝から雨。きつい。それでも出勤できるときに出ておかんとな。これから短縮授業やら行事やらで授業が削られていくからねえ。
 授業は2コマ。空き時間は教材研究など。午後の空き時間はなんかもうだるくてしばらく何も手をつけられず。それでも6時間目の授業前には気力を振り絞る。
 放課後、各教室のプロジェクターに、自分のスマホにインストールしたアプリを使って画像を送信できるか試してみた。お、できたぞう。これでノートパソコンを持ちこんでケーブルでつないでという面倒なことはせんですむ、はず。
 退出するころには雨はほとんどやんでいた。
 今日は早く帰れた。追っかけ再生でプロ野球「ファイターズ-タイガース」戦を見る。今日の中継はテレビ大阪。解説は矢野さん。またまた1-0という僅差での勝利。大山の先制ホームランがそのまま決勝打に。カープ戦では森下と佐藤輝がホームラン。そして今日は大山。「日刊スポーツ」命名の「森大佐」(他のスポーツ紙は使うてへんなあ)が打つとタイガースは勝ちますねん。
 元横綱白鵬の宮城野親方が相撲協会を離れることが正式に決まる。これについては稿を改めて書くことにしよう。
 元プロ野球選手、監督の長嶋茂雄さんの訃報 に接する。享年89。死因は肺炎。
 実は私は長嶋さんにも王さんにも思い入れはないのです。江夏さんや田淵さんにはいろいろな思いがあって、きっとこの日記では書き切れんくらいの分量になると思う。虎党となるべく教育された私にとっては、長嶋さんや王さんはにっくき敵であったのですからね。
 長嶋という人で思うのは、独特の言語感覚を持った人で、使い方は明らかにおかしいのに、使い勝手がよくて野球関係の人たち普通に使うようになる。例えば、「貯金」と「借金」。チームの勝敗の勝ち越しと負け越しの数をそう表現した。「貯金」や「借金」なら利息が付きそうなものやけどねえ。例えば「勝利の方程式」。勝ちパターンの継投をこう呼んだんやけれど、方程式というなら解を出さんならんでしょうが。方程式だつくって、それを解かんと「勝利」という解だけ求めるのは変やないですか。例えば「国民的行事」。最終戦で勝った方が優勝というドラゴンズ戦のことをこう呼んだ。行事やったら毎年決まったときに必ずやることになるでしょう。毎年最終戦で優勝が決まるようになると言いたかったのか。
 まあ「カンピューター」なんて呼ばれていた人なんで、言葉の意味は厳密でなくてもよかったんやろうけれど、こういう感覚的に発せられた変な用語が一般的に定着してしまうのは、なあ。
 あとは晩年、ジャイアンツにいいように利用されていたようにしか見えなんだのも印象に残る。車椅子やら杖やらがないと歩行もおぼつかん人に、若い者を指導させたりするかよ。本人は機嫌ようやっているんかもしれんけれど、ジャイアンツはいつまで長嶋さんに頼ってるわけ? それやったら廣岡達朗さんを呼んで、根本的なところから叩き込んでもらうべきでしょうが。廣岡さんはまだお元気なんやから。
 球界のスーパースターとしての長嶋茂雄よりも、変な用語を造語し、よその四番打者をFAでかっさらったりよその主力の外国人選手をかっさらったりして喜んでいた困った人というのが、私の長嶋観なのです。あ、「ジャイアンツは優勝を宿命づけられている」というのもあったか。おっと、これは原辰徳さんやったっけ。「宿命」というなら、毎年優勝することに決まっているという意味になる。ここは「使命」というべきでしょう。
 謹んで哀悼の意を表します。
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