2026年04月23日

好きです かわさき 愛の街

 朝起きて、体温ははからなんだけれど、倦怠感はあった。休みたいなあと思いつつも、授業の進行状況を考えて、最低でも午前中だけでも出勤せねばと家を出る。パラリパラリと小粒の雨。傘をさすまでもないと歩く。電車とバスを乗り換えている時もそれほど降ってなんだけれど、出勤して授業準備をしているうちに雨脚が強くなってきた。小テストを作ったり、「アイデンティティ」「モラトリアム」といった言葉をテーマにした曲のミュージックビデオを探し、生徒たちに聞かせる用意もした。授業は4時間目に一コマ。そこで用意していたビデオを見せ、感想を書かせたり。とにかく言葉で説明するよりも彼らには感性に訴える方が効果的やろうと考えたし、生徒の感想を読んだら、それなりに感じるところもあったようで、まずまず。
 授業中だけは脳内物質が出て元気になったけれど、終わって職員室に戻ると反動がきつい。少しめまいも残っている。やはり半休をとって昼食後、退出。外は本降りの上に風も強い。一番きつい時間帯に帰ったみたい。とにかくバスと電車を乗り継ぎ、ズボンをびしゃびしゃにして帰宅。すぐに履き替え、午睡。夕刻目覚めたら、スマホに今日のタイガースの試合の降雨中止の一報が届いていた。それから寝床に横になり、スマホをいじりながらごろごろ。読書も少ししたけれど、気力がもたん。
 夕食後、寝床でごろごろしていたら妻も横になりに来る。いろいろと雑談。
 近鉄の難読駅名調べをしたり、いろいろな地域の歌を検索して聞いたり。これは京都市の歌。


 東大阪市の歌はこれ。


 私たちのお気に入りは川崎市民のうた。


 これははじめ短調で哀愁のある曲調から、一転して転調し、心洗われるメロディに。さすが山本直純作曲です。大河ドラマの「風と雲と虹と」のテーマも、「男はつらいよ」の歌も途中で曲調が変わってぐっと盛り上げるのがうまいんですよねえ。
 そんな話をだらだらしてました。二人とも疲れてるから建設的なことは何もできず、というところ。
 明日は定休日。体調を整える一日にしたいな。
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2026年01月02日

ネゼ=セガンのニューイヤーコンサート

 新年になっても生活パターンは変わらず。朝から昨夜録画した深夜アニメを見て、そのあとは昨日録画したウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートを見る。今年の指揮者はエニク・ネゼ=セガン。今一番脂ののっている(と私が思うている)指揮者。何枚かCDも持っているし、サブスクでいろいろと聴いている。若い頃に録音したブルックナーも、ネルソンスあたりよりずっといいと思う。
 とにかくノリノリのキレッキレ。音楽の楽しみを体現したような指揮ぶり。かつてのカルロス・クライバーほどではないけれど、それを思い出させるような演奏。ただし、ニューイヤー初登場の指揮者によくあるあまり演奏されんような曲をふんだんに演奏している。もっともポリシーははっきりしていて、テーマは多様性と平和というところ。女性作曲家の曲や、ヨセフ・シュトラウスのワルツ「女性の尊厳」、「平和の棕櫚の葉」なんて曲を選んでいる。アンコールの「ラデツキー行進曲」では演奏の指揮は楽団に任せて、なんと客席に降りて観客の中でタクトを振っている。観客の拍手を指揮しているのですね。ここまでやったらやり過ぎかと思うけれど、それが嫌味にならんあたりがネゼ=セガンの作り出した空気かな。去年はリッカルド・ムーティが円熟の指揮で聴かせてくれたけれど、対極にある感じ。来年はトゥガン・ソヒエフという指揮者で、浅学ながらまだその指揮した曲を聴いたことがない。サブスクで探して聴いてみようかな。
 昼食後、寝床へ。妻は目覚めていて、昨日よりは元気が出たみたい。例年なら実家で義兄たちと正月を過ごしているんやけれど、今年は自宅で静養。私はその横で午睡。
 夕刻起きてから夕食をはさんで読書。また今年もこういう休日を過ごすことになるのでしょう。そういえば今年の抱負とかあまりちゃんと考えてへんなあ。まあええか。
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2025年12月31日

レナード・スラットキンの第九

 朝起きてから、朝食後、アニメ「キミと越えて恋になる」最終話を見てから、いよいよ年賀状の宛名書きにかかる。「年賀しまい」をする方が増えてきたので、枚数は一番多かったころよりもかなり減った。とはいえ70枚ほど1時間半くらいかけて宛名をすべて書いてしまう。すぐに着替えて郵便局に行き、ポストに投函。昨年年賀状をいただいた方にはすべて出した。もっとも、その中には今年はもう「年賀しまい」をされておそらく返信もない方もいてはるやろうけれど。私はまだ当分「年賀しまい」はしないつもり。半世紀近く会うてへん幼なじみと、このはがき一枚でずっとつながっていたりする。それは私にとっては切ってしまいたくない縁なのです。年に一度だけのはがきで、互いにまだ息災であることを知らせる。これは非常に稀有なことやと思う。そやから、縁を切らないという意味で、年賀状というのは私にとっては大切なものなんですね。
 投函後、帰宅して少し休憩してから昼食。さすがに一気に宛名書きをしたら疲れたので、午睡。夕刻目覚めたら、妻もまだ布団の中。体調がよくないのか、起きられなんだらしい。そのまま寝かしておき、昼間に録画したMBS「上方漫才トラディショナル」を少しだけ見る。妻が起きてきて、「どん兵衛」で年越しそばを食しながら、毎年恒例のNHK交響楽団の「第九」をEテレで見る。
 今年のN響の「第九」の指揮はレナード・スラットキン。かなりのベテランなんやけれど、ディスコグラフィにはベートーヴェンはないという珍しい指揮者。メジャーレーベルと契約していた時にはドイツ音楽はハイドンを録音していたくらいで、あとは英米の作曲家の曲が中心。マイナーレーベルに移った後もラヴェルなどフランス音楽、そしてルロイ・アンダーソンの全曲録音とか、いわば巨匠的な扱いはほとんどされてへん稀有な指揮者です。
 そばを食べながら聴くという不真面目な聴き方やったけれど、なるほど、ディスコグラフィにベートヴェンがないはず。切れの良い演奏ではあるけれど、全体に軽く、そやからと言うて新しいことに挑戦しているというところもなく、ごく標準的な演奏に終始していた。悪く言えば「凡庸」。N響はなんでスラットキンを依頼したのかな。日本の若手指揮者に振らせたらええのに、なんて思うた次第。
 まあこの後、年越しのテレビ東京「ジルヴェスターコンサート」で口直しをしましょう。
 夕食後は少し読書。妻はまた布団にもぐって新聞を読んだりしている。やはり体調はよろしくないようです。発熱がないので感染症とかいうことはないと思うけれど。元日はゆっくり家で過ごしてもらうことにする。
 というわけで、本年の日記もこれでおしまい。毎日同じようなことしか書いてへん日記ですが、まあ日記というのはそういうものか。今年もおつきあいいただきありがとうございます。よいお年をお迎えください。
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2025年11月01日

ジュリーニもよいがシュミット・イッセルシュテットもよい

 今日の午前中もアニメ三昧。なんとか今朝録画した「マルコ・ポーロの冒険」まで見てしまう。まだ「べらぼう」の未視聴分もあるし、今夜の深夜アニメもあるから、明日の午前中もテレビに貼りついていることでしょう。
 昼食後、午睡。夕刻起きてからはほとんどスマホでものかき関係のお手伝いの作業に没頭。とはいえさすがに集中力が途切れるので、時々はスマホで音楽に耳を傾けて過ごしたりもする。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮によるロイヤルコンセルトヘボウ管弦楽団演奏のドヴォルザークの交響曲や、ラヴェルの管弦楽など。夕食をはさみ、作業の続き。かなり進んだけれど、まだまだ終わりそうにない。早くすませて読書をしたいものです。夕食後の作業の合間にはヘルベルト・フォン・カラヤン指揮でウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるリヒャルト・シュトラウスの交響詩を聴いたり。
 ジュリーニのドヴォルザークもカラヤンのR・シュトラウスもこってりとした演奏なんやけれど、そのこってり具合が程よいのですね。今、この日記を書きながら聴いているのはハンス・シュミット・イッセルシュテット指揮でハンブルク放送交響楽団のドヴォルザーク交響曲第7番。ドヴォルザークは新世界交響曲もいいけれど、第7番や第8番もドラマチックでよろしい。シュミット・イッセルシュテットはていねいな音作りでそれほどこってりしてへん。モノラルやけれど当時の英デッカの録音は非常に優れていて、ステレオでなくても美しい音色。よろしいなあ。
 この後ももう少しものかき関係の作業をしてから寝ることにしよう。とにかく頭を使うので、今夜もぐっすり眠れそうです。
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2025年01月02日

ムーティは丸くなった?

 今日の午前中は昨夜録画したアニメ「火の鳥」の再放送や昨年の暮れに録画した「Fate」の特番などを見、少し読書してから昼には妻とお雑煮を食べる。正月なんやなあ。
 それから昨日録画した「ウィーン・フィルのニューイヤーコンサート」を見る(聴く?)。今年の指揮者はすっかり巨匠然としたリッカルド・ムーティ。もう何度もニューイヤーの指揮台に立っていて、今年のプログラムは「ウィンナ・ワルツ、ポルカ名曲集」に必ず入っているような曲が中心。「ジプシー男爵」序曲とか、「トリッチ・トラッチ・ポルカ」とか「アンネン・ポルカ」とか「加速度円舞曲」とか。若手指揮者はよく「こんなん聴いたことない」というような曲を引っ張り出してくるし、若き日のムーティもそうやった。しかも四角四面の指揮で優雅さもチャーミングさもないウィンナ・ホルツを聴かせていたもんやった。そやけどさすがに年を取って丸くなったか、第一部の「加速度円舞曲」なんかおお、こんなにゆったりと演奏できるんやと驚かせてくれた。でも、どのワルツもコーダのところで引っ張ってまるでベートーヴェンの交響曲のコーダみたいに終わる。巨匠と呼ばれるようになったからというていかにも巨匠然とした重々しさを出さんでもええのに。まあそれでも若き日のムーティとは違うぞという感じではありました。
 ウィンナ・ワルツやポルカをたっぷり楽しんだ後は午睡。夕刻起きて、やはり昨年の暮れに録画したMBS「上方漫才トラディショナル」を少しだけ見る。なにしろ36組の漫才師が出演しているという番組なんで、一気に見るのはさすがにしんどい。途中まで見て、残りは明日以降。夕食後は読書など。大好きなウィンナ・ワルツや漫才を堪能した一日になりました。
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2024年12月31日

ファビオ・ルイージの第九

 今日は大晦日。朝はアニメなどを少しばかり見てから、年賀状の印刷。黒インクが出なくなってしもうたので、途中で色を変えたりともたついたけれど、今年は枚数がかなり減ったんで、なんとか印刷完了。ただ、宛名書きまではできず。投函は予想通り年を越してからになる。
 昼食後、午睡。その間に妻は予定通り洗濯や買い物をすましていく。夕刻、社説のダウンロードや読書など。夕食は年越しそば。ただしカップ麺。
 食事をとりながら、毎年恒例のNHK交響楽団のベートーヴェンの交響曲第九番を聴く。今年の指揮者はファビオ・ルイージ。売れっ子を持ってきたなあ。ただ、やたらテンポが速く、強弱のつけ方が激しい。第二楽章まではよかったけれど、第三楽章はこうテンポが速いと味わいがなく深みが出ない。第四楽章の合唱つきとなると、速過ぎて独唱者が苦しくなってくる。バリトンの人など、つい普通のテンポで歌い、演奏とずれたりしてしまう。あまりにもあっさり終わってしまい、聴いたあと何も残らんという感じになった。残念な第九でした。
 さて、この後はテレ東のジルベスター・コンサートを聴きながら年越しや。
 この1年もおつきあいくださり、ありがとうございました。よいお年をお迎えください。
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2024年12月02日

ミトロプーロスのマーラー

 今日は出勤日。空き時間はテスト作成。昨日の晩に宿題を少しばかりしていたので、それをもとに修正を加えたりする。明日までには完成させたいところ。
 授業は3コマ。予定していた試験範囲まではなんとかすませる。
 放課後もテスト作成を少しして、定時より少し遅めに退出。今日は比較的暖かかったので、汗をかなりかいてしもうた。帰宅してしばらく寝床でどぶさりながら社説のダウンロードなどをし、夕食。妻はかなり体調が戻ってきて、久しぶりに普通の食事に戻った。
 夕食後は読書をしたりスマホをいじったり。明日は午前中で授業が終わるんで、とにかく作業の仕上げをしたい。
 日記を書きながら、ディミトリ・ミトロプーロス指揮ニューヨーク・フィルハーモニックのマーラー交響曲第5番を聴く。1960年、マーラー生誕100年記念の演奏会のライヴ録音。最近は放送局や楽団に残されていたマスターテープから、古い演奏をCD化したものがよく発売される。あまりプレスされないんで、そういうCDは貴重品。マーラーの第5番というと、第4楽章が有名で、映画音楽にも使われたことがあるし、「アダージョ・カラヤン」というオムニバスCDにも収録されたりする人気曲。たしかに第4楽章は美しい旋律で名曲なんやけれど、やはり交響曲は全楽章通して聴かんと作曲者や演奏家の意図が伝わってこない。マーラーの5番は第1楽章は不安な雰囲気を漂わせたファンファーレから始まり、第2楽章から第3楽章までは苦しみと喜びの葛藤みたいな感じで進み、第4楽章で諦念すら感じさせるけだるくも美しい旋律が流れ、終楽章では一転してそこからなんとか立ち直って気力に満ちた動機に変わるけれど、それもなんとか自分の中で無理にでも立ち直ろうとしている感じがする非常に人の感情に訴えかけてくる曲なんですね。ミトロプーロスの指揮する5番はどちらかというとそういう葛藤はあまり強調せず、あくまでも豊かな音を響かせて聴き手を楽しませようとするような感じ。これがレナード・バーンスタイン指揮になると、その葛藤を全面的に押し出す感じになる。ゲオルグ・ショルティ指揮の演奏は旋律をどんどん進めて音そのもので聴き手を引っ張る感じ。クラウス・テンシュテット指揮の演奏は葛藤を感じさせながらも豊かな音の響きを強調している。ヘルベルト・フォン・カラヤン式の演奏に至っては葛藤も何もなく、ただただ旋律の美しさだけを強調するという感じかな。今聴いているミトロプーロスの演奏は記念演奏会ということで、非常に感情がこもっている。ライヴ録音の復刻の楽しみは、その曲がどういう状況で演奏されたのか、当時の観客になったような気分にさせてくれるところかな。ここのところ、マーラーはあまり聴いてなんだので、久々に聴くと、私の趣味はブルックナーよりもマーラーやなあと再確認させてくれるね。最近はなんとかブルックナーの魅力がどこにあるのかと探すようにいろいろなブルックナーの交響曲の演奏を聴き比べたりしていたので、こうやって久しぶりにマーラーを聴くと、なんか胸の奥に刺さってくる感じがしてやっぱりええなあと思うのです。
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2024年05月18日

木星のイメージは「火星」

 今日は夏日。熱中症対策の欠かせん1日。朝のうちに昨日まで録画したアニメなどを見る。「題名のない音楽会」は2週連続企画で宇宙飛行士の野口総一さんとピアニストの藤田真央さんの対談。2週分まとめて見る。藤田さんが「ホルストの『惑星』の曲のイメージは実際の惑星と同じですか?」と聞くと、野口さんは「実際の木星は嵐に包まれているので、ホルストの『火星』のイメージに近いですね」と答えたり、宇宙ステーションの中でピアノを弾くと、その反動で身体が壁にぶつかってしまうから、ピアノを弾こうとしたら、後ろで何人かに支えてもらわないといけないという話から、非常に楽しかった。
 因みに藤田真央さんが一番宇宙を感じる曲はブラームスのピアノ協奏曲第2番やそうです。演奏家にしかわからん感覚なんやろうな、ここら辺は。
 昼前に出かける。今日は月例の京都の医者行き。熱中症対策に帽子をかぶって出たり、診療後、コンビニに寄ってアイスを買うて食べたり。
 その足で母の入所している施設に面会に行く。約2ヶ月ぶりの面会。元気そうでなにより。
 阪急電車で帰阪。帰宅後すぐに追っかけ再生でデーゲーム中継を見る。今日はMBSが放送。解説は矢野前監督。矢野さんはABCの解説のイメージが強いので、なんか変な感じ。試合は1点差でタイガースの勝利。
 その後しばらくスマホをいじったりしてから、相撲中継の録画を見る。宇良が琴櫻にひっくり返されてついに土。1敗で大の里、宇良、大栄翔、湘南乃海、宝富士らが並ぶ。霧島と若元春が今日から休場。霧島は来場所は関脇に陥落が決定的となった。10勝したらすぐに復帰できるから、痛めた首を治して出直してほしいものです。

 明日、5/19(日)は「たちよみの会」例会です。今月も13:00〜15:00の短縮バージョンで行います。ご参加お待ちしています。
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2024年02月24日

キーウの大門?

 今日は月例の京都の医者行き。朝から昨夜録画したアニメ「葬送のフリーレン」などを見てから、昼前に出かける。寒かったけれど天気は悪くなく、往路の阪急の快速特急では座れず、けっこう疲れた。診療後、これも月例になっている母の入所している施設に面会に。しゃべりにくい中「ありがとうね」という一言が嬉しく、10分間という短い面会時間の間ずっと手を握っていた。座りたかったので、帰路は準急に乗る。
 帰宅後、妻は日帰り帰省中やったので、本を読んだりスマホをいじったりして過ごす。
 妻の帰宅後、夕食。食後もしばらく読書。今日は午睡してなんだせいか眠くなり、少しうとうと。
 社説のダウンロードをしていたら、全国紙も地方紙もほとんどが「ロシアのウクライナ侵攻まる2年」がテーマに。ロシアへの停戦を求める記事ばかりで、まあ当然といえば当然。ところで、この2年の間で、ウクライナの首都の読み方がキエフからキーウに変更になったりしたわけなんやけれど、その時からずっと思うていたことがある。
 ムソルグスキー作曲の組曲「展覧会の絵」の終曲は「キエフの大門」と訳されていたけれど、今後、新譜や再発盤からはやっぱり「キーウの大門」に変わるんやろうか。国内版のCDはあまり買わんので、どうなっているのかよくわからん。最近の新譜ではレオンスカヤという女性ピアニストが原曲のピアノ版を録音したりしているけれど、配信でも和訳されてなんだので、やっぱりわからん。あるいはチャイコフスキーの交響曲第2番は副題に「小ロシア」とついているものと「ウクライナ」とついているものが混在しているけれど、これはやはり国際的にも「ウクライナ」で統一されるんやろうか。最近の新譜ではプレトニョフという指揮者(ピアニストとしても高名)がロシア・ナショナル管を振っているチャイコフスキー交響曲全集では“Little Russian”になっている。まあロシア人がロシアのオケを振っているんやから立場的には「小ロシア」になるわな。ウクライナ支援側の国の指揮者やオケの録音がどう表記するか、見ものかもしれんなあ。
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2024年02月21日

ピアニストと加齢

 今日も出勤日。ついに坂道の学校での初年度の授業がすべて終わる。明日から学年末考査。私の持ち科目の試験は無事完成。なんか一気に緊張感の糸が切れた感じ。
 朝から降ったりやんだりを繰り返してたけれど、夕刻から本格的に降りはじめる。
 なんやかんやで定時より少しだけ遅れて退出したら、バスが雨のせいかこれまた遅れていて、帰宅時間がどんどん後ろに押されていく。
 で、帰宅したらもうばてばてですぐに寝床でどぶさり、スマホをいじったりして過ごす。スマホでアルトゥール・ルービンシュタインの弾くベートーヴェンの月光ソナタを聞いていたら、妻が「誰の演奏?」と驚いていた。ルービンシュタイン75歳と晩年の演奏なので、かなりテクニックが衰えて力技で弾いている感じの演奏やったからね。指揮者はともかくピアニストはあまり歳をとり過ぎるとよくないように思う。ホロヴィッツとか……。アシュケナージやバレンボイムはもうピアノは弾かず指揮者の方が圧倒的に多くなっているしねえ。
 反田恭平みたいに今からもう指揮もやったりする若手ピアニストもいるくらいやから、特にテクニシャンのピアニストにとっては加齢でテクニックが落ちるのはきついものがあるんやろうな。
 さて、授業も終わったテストも作った終わった終わったなんて気分になっているけれど、本番はこれから。採点と成績算出、うまくいかなければまた職場にわざわざ遊びに行かんならんはめになる。そこらあたりもきっちり計画を練って、そして最後の大きな山である入試を乗り越えて新年度は気持ちよく仕事ができるようにしたいものです。
posted by 喜多哲士 at 23:59| Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする