2026年01月17日

追悼行事過去最低に

 目覚めたらもう朝6時過ぎ。あの阪神淡路大震災の起こった時間を過ぎていた。というわけで、あの時刻に合わせて黙祷、というのはでけなんだ。
 あれから31年。なんでも追悼行事は今年は過去最低になったとか。新型コロナウィルス感染症禍で行事がやりにくくなった時を下回った。これもやむなし、なんやろうなあ。
 政治家はやれ解散の政界再編のでもう震災の追悼どころやなかろうし、大阪にいたっては知事と市長が同時に辞職して3度目の「都構想」住民投票にむけて信を問うとか。
 風化させてはいかんとか言う声もあるやろうけれど、こういう動きを見ると、もう風化していっているんやと実感するなあ。そらまあ、職場の同僚でも震災の後に生まれた人や、幼すぎて震災の記憶がないという人が増えてきているわけやしね。
 おそらく東日本大震災も、能登地震も年を追うごとにこんな感じで風化していくんやろう。原爆投下や空襲やなんやかんやの戦争について、一般人が一番ひどい目にあうという記憶がもうすっかりなくなりつつある今、震災もそうなっていくんやろう。なにしろSNSではこの前青森で地震が起きた時に、「地震の起きないところに住んだらよい」などという投稿があったなんて話も聞く。ほんまかどうか知らんけど。東京にいてても地震の被害は避けられんのやで。幕末の安政の大地震しかり、関東大震災しかり。記憶の風化どころか歴史から学ばん人たちもいてるということですわな。
 そんなことをつらつらと考えつつ、例によって録画した深夜アニメを見たりしてから、昼前に出かける。
 今日は月例の京都の医者行き。阪急の特急で上洛。旅行客が多く、往路は座れず。診療の後、母の入所している施設に面会に行く。先月はまだ痰をからませたりしていた母も、今月はすっかり元気になっていた。よかった。
 阪急の特急で帰阪。復路は何とか座れた。やはり倦怠感は残っていて、この往復だけでへろへろ。帰宅したら、妻も日帰り帰省で不在。妻が帰宅するまで読書など。妻が帰宅してから、録画した大相撲初場所7日目を見る。幕内では阿炎が朝乃山の引きに土俵に這い、勝ちっ放しがいなくなる。豊昇龍は伯乃富士と土俵際の投げ合いで胴体取り直しの後、がっちりと組んで寄り切る。大の里は大栄翔の突き押しに危なかったけれど、土俵際で引き落とす。安青錦は若元春に完勝。霧島は義ノ富士の出足を組み止め、手堅い相撲で勝つ。1敗で豊昇龍、大の里、安青錦、霧島、阿炎、欧勝海が並ぶ展開に。
 夕食は妻がスーパーで買うてきたトルコライスをいただく。食後、さすがに疲れて少し寝てしまう。明日も外出。月曜日と火曜は出勤。大丈夫かいな。

 明日、1月18日(日)は「たちよみの会」例会です。今月も13:00~15:00の短縮バージョンです。ご参加お待ちしています。
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2025年01月17日

式辞とお言葉

 朝、目覚めたらもう午前6時を回っていた。しもた。5時46分にはテレビ中継を前に黙祷するつもりやったのに。まあ仕方ない。
 午前中は録画してあった深夜アニメやら「カムカムエブリバディ」やらを見る。昼食時、NHKのニュースで「阪神淡路大震災追悼式典」のニュースをしていたんで、それに合わせて黙祷。兵庫県知事の式辞にはまるで何も感じなんだのに、今上陛下のお言葉を聞いていたら、何やら胸が熱くなり、こみあげてくるものがあった。皇太子時代に2度、雅子妃ととに被災者を訪問したという。その時に感じたことをご自分の言葉として語ってはると感じたんやろうか。心のこもらん上っ面の式辞と、心のこもったお言葉との違いを、私の中にあるセンサーが察知した、ということなのかもしれん。
 昼食後、午睡。夕刻起きて社説のダウンロード。各紙ともさすがに阪神淡路大震災について触れている。
 あれから30年。私は毎年1月17日にはあの日のことについて書き、風化することは仕方ないとも書いてきた。さすがに30年目ともなるとあの日について何らかの形でメディアは大きめにとりあげることになるんやなあ。
 そのあとは録画した相撲中継を見る。豊昇龍は豪ノ山を圧倒して1敗を守る。琴櫻はすっかり自信を失うた相撲で早くも5敗目。こんなに両大関にくっきりと明暗が分かれるとはねえ。王鵬、千代翔馬、金峰山が勝ちっ放し。各力士とも動きがいい。玉鷲に土がつく。こうやって平幕の勝ちっ放しの力士は少しずつ脱落していくんやろう。感じとしては王鵬が最後まで残りそうやけれど、負けギャンブラーの私がこう書くと、王鵬のファンの人たちは嫌な気分になるのかもしれません、
 日刊スポーツの一面はイチローさんの野球殿堂入り。震災から30年という区切りの時に、神戸で活躍したイチローさん、やはり地震を体験したタイガースの掛布さんが殿堂入りを決めたというのは、偶然かもしれんけれど、何か人知の及ばん力が働いているんやないかと思うてしまう。あの日以降、死生観の変わった人も多かろう。私が今こうして生きていて、毎日やくたいもないことを書けているのは、ほんまに奇跡的にたまたま生かされているだけ、と思う。
 今日は1月17日。そしてまた1年後、この日が巡ってくるんやなあ。

 1月19日(日)は「たちよみの会」例会です。今月も13:00~15:00の短縮バージョンです。ご参加お待ちしています。
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2024年01月17日

震災と自衛隊

 今朝は朝食中にあの5時45分を迎え、少し黙祷。なんとか出勤できそうやったんで、通常通り出る。授業は3コマ。そこだけは気合を入れてなんとか普通に授業ができた。
 単元は「平和主義と安全保障」なので、自衛隊について説明するわけやけれど、教科書には災害出動について一切触れてへん。我々が自衛隊の活動として目にするのは、多くは災害出動やのにね。なんか、集団的自衛権ができるように解釈改憲したことについてその事実のみを記述してあったりして、そこはあまりさらりと流したくないんで、「安全保障」の意味がここで大きく転換したということを強調したり、元日に起きた能登半島地震で、どのような手順を踏んで自衛隊が災害出動したのかなどを解説した。むろん、29年前の阪神淡路大震災のことにも触れたし、東日本大震災のことについても触れた。1月17日に自衛隊について講義するのに、災害出動に触れんわけにはいかん。
 というか、震災について若者たちに語り継ぐのが私ら年配の者のつとめやと思う。私らの親が戦争について話してくれたのと同じ。生徒たちにとっては阪神淡路大震災はもう歴史上の出来事なんやから。
 授業がすべて終わった後はもうへろへろ。来週の授業に向け、生徒たちに見せるような動画がないかネットで探したりし、定時に退出。帰宅後、すぐに録画した相撲中継を見る。今日はデッキ2台を駆使して昨日みたいに録画が途切れんように予約を入れたので、すべてテレビで見ることができた。貴景勝が今日から休場。勝ちっ放しは豊昇龍、琴ノ若、朝乃山。霧島は翠富士に肩透かしを食らう。幕下に落ちた、震災の日に産まれた照強は今日は取り組みがない。審判部もそこらあたりはちょっと考えて今日に取り組みを入れたらええのになあ。
 夕食後、寝床にどぶさってたら動けず。明日はしっかり休みを取ろう。天気もようないみたいやし、外に出ることはまずなかろう。いや、この3日間はほんまにしんどかった。よう休まんと仕事ができたなあ。

 1月21日は「たちよみの会」例会の予定です。インフルエンザなどの感染症があちこちで増えておりますので、今月も13:00~15:00の短縮バージョンで行います。ご参加お待ちしています。
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2023年01月17日

風化する前に上書き

 今日は定休日。目覚めた時にはもう阪神淡路大震災が起きた時刻を過ぎていた。昨年までならその時刻には出勤の準備をしていたりしていて、できる限り黙祷したりしていたもんやけれど。
 あれから28年。若い同僚やと、震災後に産まれていたり、ものごころついてなかったりする人も増えてきている。これって、戦後生まれが社会の中心になってきて、政治家などでも戦争体験から「二度と戦争をしてはいけない」という意識を持つ者がいなくなってしまうという図式に近くなっているのかもな。
 もっとも、不幸なことに震災ということで言えば、東日本大震災というまた違う形の被害経験があったりしているので、阪神淡路大震災の記憶が風化していっても、東日本大震災の惨禍が上書きされ、「南海トラフ地震」への構えは忘れられんという状況にはなっている。それに、数年前には北大阪地震というかなり強めの地震もあったりして、天が「忘れたらあかんぞ」と警告してくれたりしているかのようではあるからね。
 午前中は例によってたまっている録画をひたすら見て、午後は午睡。昨日、寒風にさらされて体力をもぎ取られたということもあるからか、一日中体がだるいし重い。夕刻、大相撲初場所10日目の録画を見る。震災の日に産まれた照強は、土俵際の投げで勝ったかと思われたけれど、物言いがつき、一瞬早く手をついていて、無念の黒星。今日だけは何としてでも勝ちたかったという執念を感じさせる相撲やった。惜しかったけれど、その気持ちは伝わった。もっとも、見る側の私がそういう思い入れであったからそんな風に見えたのかもしれんけど。
 夕食後も相撲を見続け、その後は寝床で社説のダウンロードなど。寝落ちはしなかったけれど、やはり体がだるくて重くてなかなか寝床から起き上がれん。明日からまた寒さが厳しくなってくるという気象情報もある。しんどいことであるなあ。
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2021年03月11日

憶えていますか?

 あれから10年。テレビでNHK以外のどの局をつけても「たーのしーいなーかまーが、ぽぽぽぽーん」というACの広告がしょっちゅう流れていた。
 憶えていますか?
 タイガースの赤星外野手が赤い車椅子を寄贈している宣伝が何度も何度もテレビで流れていた。
 憶えていますか?
 私ら大阪に住む者は日常を送っているのに、テレビの画面では何度も繰り返して東北の町が海に呑まれていくところをこれでもかこれでもかと見せつけていた。
 憶えていますか?
 サンテレビやKBS京都はすぐに通常の編成に戻し、テレビ東京系も深夜アニメや旅番組を放送して、日常というもののありがたさをとくと感じさせてくれたことを。
 憶えていますか?
 当時の菅直人首相が批判されながらもいち早く被災地に行っていたことを。
 憶えていますか?
 当時の枝野官房長官が毎日ほとんど徹夜で仕事をしていて「枝野寝ろ」がトレンドワードとなったことを。
 そして今、新型コロナウィルス禍が長引く中で、五輪大会さえ開けば自分の政権が安泰になれるということしか考えてへん菅義偉首相のもと、総務官僚たちは接待漬けになり、与党の議員は特権階級だと言わんばかりに夜の街で会食をしている。
 10年前は、まだ政治家は国民の方を見ていたように思う。
 あれから10年。大阪にはコストカットを改革と言い放つモンスターが現れ、最長不倒政権は未曾有の危機の前にガーゼマスクの配布など悪夢のような手しか打てなんだ。
 そして私は、今日は長時間の会議でまったく頭が働かなくなって帰宅し、夕食後布団の上にどぶさっていました、とさ。
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2021年01月17日

風化と社説

 朝、目が覚めて時計を見たら、午前5時44分。急いで起きて手洗いをすませてテレビをつける。ちょうど黙祷を始めたところ。トランペットの音が響く中、黙祷はせずにテレビの画面をじっと見つめる。
 阪神淡路大震災から26年。毎年書いているけれど、風化するのは仕方ない。そやけど、今日という日だけはあの朝のことを思い出すよすがにせんならんと思う。
 26年たつと、新聞の社説に掲載される論調にも濃淡が出てきていて、興味深い。全国紙では唯一毎日新聞がとりあげてへん。明日の社説には書くかな。神戸新聞や京都新聞など近畿の地方誌はむろんとりあげているし、近畿に近い岡山の山陽新聞もとりあげているけれど、広島の中国新聞、福岡の西日本新聞、北海道新聞は別の話題。東日本大震災を経験した宮城の河北新報はわがことのように書いている。中日新聞(東京新聞)の社説がかなり丁寧にとりあげてくれている。沖縄の2紙、沖縄タイムスと琉球新報は別の話題。毎日巡回している新聞の社説を見ただけやけれど、全国紙の方が義務的にとりあげているように感じられる。それなら毎日や各地方紙のように一切触れん方が逆にきっぱりしていていい。
 平成は地震と豪雨の時代。そして令和は感染症の時代なんて切り分け方は乱暴かもしれんけれど、地震や豪雨は損害状況が目に見えるけれど、感染症は見えざる敵に毎日おびえているという感じで、感染症の方がたちが悪い。
 今日は全日休養日。本来なら「たちよみの会」例会で京都に行っているんやけれど、ここ数日告知していたように、「緊急事態宣言」で不要不急の外出を控えるようにというお達しが出ているので、自分の身を守るという気持ちもあり、休止にした。京都の感染者は本日過去最多となったということで、休止しててよかったのかもしれん。
 午前中は例によってテレビを友とし、午後は午睡。夕刻起きてきてスマホで新聞のサイトを巡回したりしたあと、録画した相撲中継を見る。明瀬山と正代が敗れ、大栄翔は輝の押しに危なかったけれど、辛うじて土俵際で逆転勝ち。今のところ相撲の神様は大栄翔に頬笑みを向けているらしい。逆に見放されているのが貴景勝で、玉鷲に押し負けて6敗目。横綱昇進どころか負け越しの危機やね。押し相撲は連勝連敗の多いもんやけれど、貴景勝は迷いの森に踏みこんだみたい。
 一日休んでも休み足りないなあ。そやけど3年生はいよいよ大詰め。ここはこちらも気合を入れていかんとね。
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2020年01月17日

1月17日に生まれて

 早朝起床し、昨夜録画した深夜アニメを見つつ、5時46分には黙祷。
 あれから25年か。日刊スポーツの裏一面は大相撲の幕内、照強が特集されていた。あの阪神淡路大震災の起こった日に震源地の淡路島で産まれたので、クローズアップされているのですね。私は照強がまだ幕下以下の時から注目していたので、今さら大きくとりあげてもなあと思うたりもするんやけれど。ちなみに阪神タイガースの近本光司外野手は震災の2ヶ月前に淡路島で産まれている。
 今日は授業はひとコマだけやけったけれど、放課後に1年生の保護者会があり、そこで奨学金に関する説明を依頼されていたので、その準備などに追われる。保護者会で説明したあとは、入試の担当者の打ち合わせに遅れて参加。帰り際には来年度に入学する生徒の修学旅行に関する調査の依頼を受け、来週はそこらへんの仕事もしていかんならん。いろいろとやることが多いなあ。定時に退散。
 帰宅して録画した相撲中継を見る。中入りの時間には、「照強~1月17日に生まれて」と題して特別インタビュー。照強関にしたら、その日に産まれたことで特別な役割を課せられてしもうたわけになる。その日に産まれたということは、震災の記憶もあるわけがないんやけれど。それでも、その日に産まれたことを宿命として受け止め、自分が活躍することで故郷の人たちを力づけたいと語る。偉いなあ。大河ドラマ「いだてん」で、1964年東京五輪の聖火ランナーの青年が8月6日生まれであることで点火役に選ばれ、自分個人を見てほしいと訴える場面があったけれど、照強関かてそう言うてもええのにね。でも、プロの力士として震災の記憶の象徴であることを自覚しているのはたいしたものです。
 あの日から25年、日本各地で自然災害がたびたび起こり、阪神淡路大震災で得られた教訓が生かされている。阪神淡路大震災そのものの記憶は風化したとしても、そこから得られたものが風化することなく生きているということを多くの人が意識していれば、1月17日という日付の持つ意味は風化していくことはないんやろうなあと感じた次第。
 私はこの日になるとこの日記で必ず震災についてなにかしら書くことにしているけれど、それは自分の中で震災を風化させたらあかんという意識があるからなんですよね。そしてまた来年以降も書き続けるのです。
 相撲は正代が単独で勝ちっ放し。どこまで続くか快進撃。追うのは貴景勝、遠藤、照強、輝ら。後半に向けて優勝争いが白熱していくのを楽しみにしていますぞ。

 1月19日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。
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2019年06月18日

新潟で震度六

 大阪北部を震度六の地震が襲うてまる一年。ちょうどその日に新潟で震度六の大地震が起きるとは。
 ぱんぱんにつまった授業をなんとか終えると、奨学金の資料一式を会議室に運びこむ。専門学校志望の生徒たちに向けた説明会を行う。明後日には大学・短大志望の生徒に対する説明会の予定。とりあえず今日の説明会は完了。
 資料一式を仕事部屋に持ち帰り、一息つく。もう何もでけん。定時に退散。すっと帰宅して、追っかけ再生でプロ野球中継を見る。試合はさくさくと進み、3時間くらいで終わる。先週とえらい違いや、負けたけど。
 今日は「スポニチタイガース川柳」の掲載日。先週は満足のいく投句がでけなんだからどうせ落選してると思うたら、佳作入選。
 土壇場で あっぱれ浜地 オリを断つ
 なんでこれが選ばれたかようわからんけれど、今シーズン2度目の入選。今週も続いてと勢いこんでも肝心のタイガースが負けると気持ちが乗らんなあ。
 で、パソコンを立ち上げてみたら、新潟で地震。現地の様子はニュースではほとんどわからず。
 それにしてもきっちり1年後に場所を変えて大規模地震が起こるとは。新潟には友人もいてる。心配であります。
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2019年01月17日

怖さ自慢

 早朝、朝食前に黙祷。あの地震の起きた時刻とはずれていたけれど、細かいことは言いっこなしや。とにかく忘れたらあかん。それだけ。昨年6月の地震で、薄れかけていた恐怖がよみがえった。家の中で揺れるのも怖いけれど、外で歩いていて揺れるのも怖い。どっちにしても怖い。一番怖かったのは入浴中に揺れた時やったなあ。一番無防備なんやから。
 というわけで、阪神淡路大震災からまる24年たちました。あれから東北では津波と原発事故があり、熊本では城が壊れた。北海道では電気が止まった。町の地震、海の地震、山の地震とそれぞれに被害の規模や形は違えど、地震の恐ろしさをその度に思い知らされる。とはいえ私が受け持っている生徒たちは当然震災後に産まれた子どもたちなわけで、6月の地震で初めて地震の怖さを知ったということになる。そやからというて「大震災はあんなもんやなかったんやでえ」などと怖い思い自慢をしても仕方ない。
 今日の各新聞には防災について社説でとりあげているものがもちろん多かった。東北は河北新報、九州は西日本新聞。豪雨で大きな被害が出た中国地方は広島の中国新聞と岡山の山陽新聞がそれぞれ気合の入った論陣を張っていた。それに比べたら全国紙の論説の通り一遍なこと。
 やはり他人事なんですよ。でもしかたない。24年前、あの揺れを体感してなかったら、私にとっても他人事。そういうものです。
 というわけで干支でふたまわり目。平成も終わり、大震災は少しずつ「歴史」の一部になるんや。大正時代の関東大震災のように。でも、神戸ではまだあれをただの「歴史」にすることのでけへん人がまだまだいてはるということは忘れたらあかんのです。

 1月20日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。
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2018年01月17日

記録は風化しない

 また今年も阪神淡路大震災の日がめぐってきた。
 今年に入り、慰霊碑に「馬鹿」など書かれた落書きが発見されたという。
 毎年のように書くけれど、記憶というものは年々風化していくものやから、こういう落書きをする輩が現れても何の不思議もない。おそらく震災の記憶どころか、震災そのものを体験してへんもしくは幼すぎて記憶してへんというような者の仕業やろう。そして記憶の伝達に失敗したため、あの日に失われた多くの命や、親しいものを失うた遺族のことなど「他人事」でしかないんやなかろうか。
 各新聞の社説でも、以前とはトーンが変わってきている。
 以前は「この震災の記憶を風化させるな」という主張が多かったんやけれど、東日本大震災以降は「教訓を生かせ」が大勢を占めているように思う。そのかわり、「東日本大震災の記憶を風化させないように」という論調がかつての阪神淡路大震災のポジションに立っているような感じや。
 これもまた当然といえるやろうね。記憶に新しい方が風化の度合いは少ないし、だいたい論説委員なんて東京の人が中心やろうから、阪神淡路大震災なんて正真正銘の「他人事」なんやろうからね。
 ただ、数年前に読んだ、関東大震災の時に書かれた、震災の様子を描いた小説などに触れると、当時の状況が目の前に現れてくる。年老いて「記憶」を「物語」で強化して風化や忘却から防ぐ「語り部」の言葉が若い世代の心に響かなくなったとしても、まだ記憶が生々しいうちに書かれた物語や記事や映像がいずれ心を揺さぶるんやないかと思う。その時に刻まれたきれいごとやない記録は、記憶のように風化したりはしないと思う。
 そんなことを考えながら、23年目の1月17日のまだ夜の明けぬ朝、雨の強く降る中、駅に向かうて歩いていたのでありました。

 1月21日(日)は、「たちよみの会」例会です。多数のご参加をお待ちしています。
posted by 喜多哲士 at 23:37| Comment(0) | 1月17日の記憶 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする